2011年7月29日金曜日

じっちゃん、さようなら。。。






去る6月11日に、じっちゃんが帰らぬ人となりました。。。




5月の連休にお見舞いを兼ねて、家族3人で大阪へ帰ったのですがその時は痩せ細ってしまっていたものの、歩くことも食べることも、もちろん喋ったり時にはポコと歌まで歌えるくらいの元気さはありました。それが、私たちが韓国へ帰ったあとから、日に日に病状は悪化していき、慌ててまた戻るともう寝たきりの状態で話せることもままならないじっちゃんの姿になってしまっていました。




以前は冗談でよく、「もし明日死ぬとわかったら、やっぱりてっちりが食べたいな。。。」と、言っていたじっちゃん。でも食も細くなり、食欲もなくなった頃には「サムゲタンかソルロンタンのスープが飲みたい。」と言い出しました。日本ではあまり美味しいものがないので、こちらから美味しいお店のものを買って冷凍して大阪へ持って行きましたが、結局一口も食べてもらえなかったのが心残りです。。。




お通夜もお葬式も準備するのは初めてのことなので本当に大変でした。亡くなった悲しみも忘れるくらいに駆けずり回って、ようやく準備することが出来た感じです。そして多くの方から贈られたたくさんの花に囲まれた華やかな式となりました。週末にもかかわらずたくさんの友人知人の方がいらしてくれたので、じっちゃんも満足していると思います。特に弔辞では親友のA氏がご本人も入院中だというのに、わざわざ退院して素晴らしいスピーチをしてくださいました。その心温まるエピソードの数々に、今まで涙を見せずに踏ん張ってきたマミーも涙が止まらなくなったそうです。ムーミンママはもうずっと泣いてばかりでしたけど。。。こんな素敵なお友達がいてくださったことにも感謝です。




本当にたくさんのことがありすぎて、ここには全て書けませんが、ひとつ言えることは人が亡くなるということは生まれてくることより、もっともっと大変なことなんだということ。ころっと死ねる人は幸せだと聞いてはいましが、やっとその意味がわかります。またじっちゃんは苦しんだ時間は短いほうだったかもしれませんが、それを見ている家族にとってはとても辛くて長い時間でした。もちろん本人が一番苦しかったことでしょう。枕元には「死ぬ前にしておくべきこと」と、いう本がありましたが、まだまだ生きると思っていたじっちゃんは整理しておくことができなかったようです。




今までにも親族の方が亡くなってお葬式へ行った経験はありますが、自分の両親を亡くすというのは全く感覚が違うものだと改めて知りました。人はいつか死ぬということはわかっていても、「自分の親だけは死なない」と、勝手に思い込んでいるところがあったのですね。。。




ポコはいとこ達がずっとお世話をしてくれていたので、ムーミンママは面倒をみていませんでしたが、漠然としながらもじっちゃんの死を感じとることができたようです。お葬式ではいとこのお兄ちゃん、お姉ちゃんが大泣きしていたにもかかわらず全く涙を見せないポコ。やっぱりまだ意味がわかっていないのかな、、、と思っていました。しかし、その日の夜じっちゃんの遺影を見ながら、突然ポコがこう言い出しました。「じっちゃん昨日(過去のこと)病院にいたのに、、、じっちゃんどうしてファイヤーして、じっちゃんどうして骨になっちゃったの?」と、言ったとたんに声をあげて泣き出したのです。やはりあの遺骨を見るシーンはとても衝撃的だったようです。もちろん、ムーミンママにも悲しすぎる映像でしたし、遺骨を拾い上げる習慣がない韓国では係りの人が骨壷に入れたものを受け取るだけなので、ムーミンパパにとってもショッキングだったと言っておりました。




ポコとムーミンママは6月末まで実家でマミーと一緒に過ごしたのですが、毎日じっちゃんの遺影を見ながらポコが、「じっちゃん、もう痛くないよ。じっちゃん、ありがとう。」と、手をあわせてくれたのが印象的でした。じっちゃん、お疲れ様でした。どうぞ天国から私たちを見守っていてくださいね。